Vision of Papa Maman House

コロンビア リバー

一昨日、北米から名古屋に帰ってきた。
飛行機代をケチった(?)からか、約30時間もかかった帰国の旅。空港に戻り、その1時間後には、仕事の交渉や打ち合わせがギッシリの日常に戻る。トランジットから家に着くまで何も食べず、胃薬だけで過ごしたせいだろう。どっぷり疲れに襲われて、2日間、点滴状態。倦怠感に全身が覆われていた。
若い頃ならば平気だったのに、と正直、自分の歳を感じたりもしたが…。

eco
オレゴン州ポートランドへ行ってきました。思い返すと、なんと12年振りの地。
久々に、北米スタイルの建築現場を視察することも目的ではありました。北米建築の「イマ」を自分の目で確かめるチャンス。この機会に、材料や、断熱性に対するメソッドの変化を知りたかったのです。

そして実のところは、20年来の友人に会うことが大きな目的の一つでした。互いの心を熟知している、気兼ねのいらない仲間。例え久しぶりに会うとしても、一瞬で時間を超越してしまえる友人です。
コロンビアリバーにボートを出しては、今日はサーモン、次はスタージョン(チョウザメ)を狙う…そんな日々を堪能してきました。

ボートの上で、退屈することはありません。
今のアメリカや日本の経済や、TOYOTAショックのこと、朝鮮半島の緊張、環境問題、少子高齢化、そして勿論建築や家族について…話題は尽きないのです。もうすでに何度も話したストーリーを気づかず繰り返してしまう辺りは、やはりお互い年相応というべきかもしれませんが。
僕も頑固な方であるけれど、この友人というのも自分の主張を曲げることのないヤツ。なので、ただ平和な時間が過ぎてゆくだけではなく、時に喧々諤々といったシーンが訪れることも。しかし、これもまた3時間ほども経ってしまえば、いったい2つの主張にどんな隔たりがあったのかさえ曖昧模糊になってしまうのだから、no problem。

釣り始める前からご機嫌にビールで乾杯。調子良く、ラムやウォッカのオリジナルカクテルなど、友人のペースに合わせて一通り飲んでしまい、帰るころにはすっかり朦朧。
たまには、心の中の良心が「飲み過ぎ注意!」と囁くけれど、ボートの上で気になるのは竿先だけ。自分たちを取り囲むのは、まるで湖のように雄大なコロンビアリバーと林のみ。

という訳で、ボートの上に居ると、あっという間に夕方になってしまうのです。

僕の敬愛する小説家は、アラスカであろうがコロンビアリバーであろうが、欝の波がやってくると数日間動けず、その間、取材クルーのカメラマンやスタッフたちも共に足止めを食らったと言います。声が大きく、行動的で、健啖なイメージを持たれがちな作家だったので、そんな一面を知り驚いた人も多かったでしょう。
気持ちが落ち込むと、部屋にこもってウイスキーを2日も3日も飲み続ける。けれど若い時分からネガティブな部分も負ってきた彼だからこそ、よりありのままの“人間”を、描くことができたのかもしれないと思うのです。醜い部分も含めそれが「人間」なのだ、というような懐の深さ。密度の濃い、生の力。その人間くささが、彼自身を含めた作品の魅力となっているのかもしれません。

「今度は、もっと気ままに大らかに過ごすぞ」と心に決めてやってくるものの、やっぱりアメリカ人には勝てないと、いつも思い知らされます。どこでも何かをどうしても気にしてしまう、日本人特有の悪い癖とでも言うべきでしょうか。
彼ら(或は、彼と言うべきか?)は、精神力もアルコール力(!)も、はるかにタフなのです。
同時に異国に居るからこそ、自国文化の良さを再確認する瞬間も多々訪れます。

結局通算20時間以上、コロンビアリバーの河上に滞在して、彼も私も NO FISH。
それでも釣果よりも何よりも、僕にとっては雄大な自然の中での仲間との時間こそが、豊かで大切なものだったのだと、旅を思い出し今、再び感じるのでした。

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        村上近影。サングラスの上に
手元を見るメガネ・・・(笑)

村上 敬博

10/6/16

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