今年の冬は寒い。
いま2010年2月、節分を過ぎて思うこと。
節分というけれど「一体、何か変わるのか?」ぼくの中で、勝手な疑心が沸いてくる。春など暦の上だけ、雪までちらついているじゃないか。いや、大切な節目のひとつであるとはどこかで理解している。理解しながらも、沸いてきた疑心を完全に否定できずに、心の中、憂鬱な塊となる。まるで冬の京都の果物屋、軒先に並ぶ檸檬のような、なんとも言えない、どうしようもない塊として。ただ世の中が「節分」と言うだけでそのせいにしたくなる。何か青臭い感情の澱み。
特にこんな時は、JAZZだ。
対立軸に存在する憂鬱の塊を意識しながら、あるときはその塊の中に安寧としている自分を感じながら、またあるときは塊を破壊するためのエネルギーとして、JAZZという音楽に浸りきってしまう。今もそこから逃れない自分がいる...。
JAZZは、"たかだか"建国200年を超えたばかりのアメリカという国でおこったものです。
もともと奴隷として強制移住を余儀なくされた、肌の色の異なる人たちの賛美歌などが、カントリー系音楽やブルースといった音楽と交じり合い生まれたものだと言われています(実はぼく自身は、これはかなり強引なカテゴリー化であると思っているのですが)。
時は1930年~1940年代初頭、日本は賛成翼賛会時代というますますクレージーな状況で、米も一部の人の口にしか入ることないというご時世。そんな時アメリカ本土では、お酒のなみなみ注がれたグラスを乾杯する音、ドンチャン騒ぎをバックグラウンドに、今日でも有名なビッグバンド、いわゆるジャズオーケストラが存在していたのです。
その録音は、音質の問題は当然ありますが、音楽レベルとしてはかなりなものであると思っています。
1945年、日本では終戦当時の闇市の混乱期。ニューヨークでは既に、チャーリーパーカー、ディジーガレスピー、セロニアスモンク、チャールスミンガス、マックスローチ、まだ若いマイルスデイビス等が台頭していました。この時代のJAZZをバップと言います。
このバップと言うのは、いわゆる和音進行(コードプレグレッション)が非常に複雑で、この時代のJAZZは明らかに高度な資質、テクニックが必要とされていました。
このようなJAZZを、この後1990年代まで改革、進歩させたGREAT GENIOUS JAZZ PLAYERがマイルスデイビスです。
バップのリーダーたちは、楽曲が内包するテーマや、和音進行の複雑さなどは完全に理解できて当たり前。その上で、スウィングし、かつ自由にソロパートを演奏することをメンバーに要求したといいます。
スウィング、これは音粒の一つ一つは離れてながらも、音してはきちんと繋がっていなければいけない、さらにリズムはくずさないという、「超」のつく矛盾した作業を成すことです。
そこに加わるのがソロ演奏。たいていのJAZZの楽曲はテーマが32小節あり、その後にトランペットのソロがが32小節×3、ピアノが32小節×2、ベースが32小節で、最後に再びテーマ32小節が入り、エンディングで締められる形式が一般的なものです。
相矛盾したことを現実化する、そしてソロパートは和音では縛られますが基本的には何を演奏しようが本人の自由、これがJAZZです。
ここでようやく、パパママハウスとJAZZとのつながりについてのお話です。
パパママハウスの家づくりのファウンデーション、それはまさしくJAZZに似ています。矛盾の非矛盾化、自由なソロパートのような主張と時間、空間の占拠・創造の仕方...たくさんお話したいことはありますが、長くなりそうなので、くわしくはまたの機会「JAZZについて(Chapter.2)」で書いてゆきたいと思います。
JAZZと言う形式の中での音作りと、ある決め事の枠の中での家づくり、ぼくの考えるこの両者の関係性が少しでもお伝えできればと考えています。音楽やJAZZの話なんて興味ないなんて仰らずに、次回も見捨てないで、ぜひお付き合いくださいね。
村上 敬博
10/2/05
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