明日から3月である。
全てを凍て尽くす冬がようやく終わる頃、繭のようなものが気持ちを覆っているのに気付く。長く冷たい時間が、脆弱しきった魂をラッピングしてしまうのか。これが毎年の僕の3月、まったく奇妙な季節感だと自分でも思うのだが。
僕のオフィスには、北側に向けて窓があります。
その窓から覗く風景の中に、一年の内でほんの2、3週間、僕の心を溶かしてくれるものがあります。
それは、梅の木です。
市街化区域内にある宅地の、家ばかり立ち並ぶ中にぽっかり存在する梅林。
2月28日時点では、五分咲という状況でしょうか。建物北側に接する梅はまだ蕾が多く、陽の当たるところの梅は赤い蕾から小さな白い花弁を出し、誇らしげに春の訪れを主張しています。
開花からほぼ一ヶ月経つと、どの木にも実が成り始め、やがて文字通り枝も撓になる時期を迎えます。
しかし、毎年よく剪定され雑草もきれいに抜かれているのにも関わらず、その梅の実は収穫はされることはありません。いつもこれ以上は自由落下しかなくなるというほど大粒になり、遂に落ち、そこで腐敗してゆくのです。梅の実たちは、そのまま土壌の新たな有機栄養となります。つまり、この梅林は収穫するための梅を栽培しているのではなく、ただ早春に「Bloom」するためだけに存在しているのです。
宅地よりもずっと安価な固定資産税で済む、農地の扱いである「生産緑地」。ともすれば誰かさんの税金対策かもしれない土地なのですが、たった2,3週間、ただ花を咲かせるだけのこの梅は、僕にとって、どんな有名な梅園で見る梅の花より純粋かつ崇高な、春そのものであるように感じるのです。
さて、ここで登場するのが「トマソン」です。
ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、トマソンの語源は、プロ野球・読売ジャイアンツ元選手のゲーリー・トマソンに由来します。移籍1年目はそこそこの活躍を見せたものの、2年目は全くの不発だった姿が「(あたかも芸術のように)美しく保存された無用の長物」という概念にぴったりだったため、名称として採用されたそうです。
上った先に特に出入り口のあるわけでもない無用階段、同じく無用門や無用窓などなど…意識的に創り上げられた芸術に対し、意図なしに作られ保存されているこれらの物件は、芸術を超えたもの="超芸術"と呼ばれ、愛でられてきました。
さきほどの梅がトマソンである、とは言い難いかもしれません。しかし、梅は誰かに愛でて貰おうと思い、花を咲かせ実をつける訳ではないでしょう。それでも香り高く咲き誇り、成った実をすべて落下させる梅の木の姿が、街の片隅でひっそり息づいているトマソンとどこか重なるのです。
日本では1980年代にブームになり、アメリカでは、ある意味“逆輸入”され流行っているというトマソン。東京では見出すことが割合容易ではあるのですが、もうすぐオープン予定である東京オフィスの隣地境界の間にも、久しぶりに完全な無用階段を発見し感動したばかりです。
トマソンブームから30年、当時の日本はまだ右肩上がりの高度経済成長期。大量消費に押されて大量に物が作られていた時代、東京では多くのビルやマンションが作られ、高速道路や地下鉄などの社会基盤も整備されてきました。トマソンはそんな時代の中、意味を超え残された、変貌する都市空間のゆがみとも言えるのかもしれません。
ここ名古屋はどうでしょう。コンクリートから人への時代と巷では言われていますが、バブル期に作られ今では残骸となってしまった構造物を、名古屋や名古屋近郊に見ることできます。
名古屋市と隣接するニュータウンで施工されたモノレール。当然、黒字化を目指し建設されたものでしょう、が僅か15年で廃線となり、何千億円とかけた高架橋や柱は今や、巨大なトマソンのようです。5年ほど前に作られたリニアモーターカーや関連施設も、同じ運命を辿らないとも言えないでしょう。
意味を失った、時代の小さな名残を見つけて愛でる、それこそがトマソンの醍醐味です。黙っていても目に飛び込んでくるようなそんな巨大なトマソンは、むしろ見たくない、これ以上増えて欲しいとは思いません。
さぁ、窓を開けて、梅の花を眺めることにしようかな。
村上 敬博
10/2/28
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